なんだかんだ、旅行前に記事を書こう書こうと思っていたものの、やる気が出ずに後回しにしてしまった結果この記事をF20に座りながら書くことになってしまった。

この飛行機は、エチオピア航空OO便、機体は787のなんとか、忘れてしまったが誰も気にしないだろう。最も重要なことはこの機体のエコノミーの席は窓側3列、中央3列、左側3列の9行であり、F20は中央の真ん中のであると言うことだ。こんなことになるなら航空券を自前で予約するべきだった。なんのために旅行会社を挟んだのか、、、。とまあ、シート配置に文句を言うのは定番の儀式のようなものだ。

こんな記事を読んでいる物好きがいるとは思えないが、どうしても頭をよぎってしまうのだ、アンチコメントが「そんなに真ん中が嫌ならお金を出して、ビジネスクラスに乗ればいいのでは?」「それも織り込み済みの金額として納得して購入したのでは」etc…そんなことはわかっている。しかし、これは一種の文化なので勘弁してほしい。どうせ毎日雨なのに天気の話をするLONDNERと同じだ。もちろんこれは偏見で言っていて、彼らの実態などさっぱり理解していないが、イギリス人はなんか強そうなので、多少は許されるだろう。

とここまで余談だが、この記事はこの後も余談にとどまる。残念ながら機内ゆえネットが使えず、生成にAIよって情報を整理することも、構造化することもわかりやすくすることもできないため、脳から垂れ流しの怪文書、文字列のランダムウォークでしかないだろう。是非ここまで読んでしまった読者の方には、残りの限りある人生を無駄にしないために、電話帳等を頭から読むなどをお薦めしたい。

ところで、私がこれを書くことによって不快なキーボード音とブルーライトにより迷惑をかけた両隣の他人にはこの場を借りてお詫びする。

さて、トランジットを挟んでさっきまで何を書こうとしていたが忘れてしまったが、そういえばこの前30歳を迎えた。ただの数字でしかないといえばそれまでだし、そろそろいい大人だとか、身の振り方を考えるときであるとかそういう見方もあるし、まあなんだ年齢とともに「自由でいること」がだんだん怖くなってくる傾向ってのは大なり小なり誰しも経験すると思いますよと。

言い方を変えると、謙遜したり言い訳したりして予防線を貼らないと何かを言ったり、表現したり、公開したりしずらいような気分になったり、そもそも尻込みしたりしやすくなったなと言うのは一つ変化としてある気はする。

「私は正気であり、自分のことを客観的に見れている安全な人間です」と言うメッセージを込めて色々言い訳しながらひっそりと、あるいはある程度許された範囲で、許されるであろうことを表現していかなければならないと、年老いた狂気など、そんな危なっかしいもの社会から排除・隔離すべきだと、それと一致させるためには、我々は狂気から距離を置き、正気を保つ努力をしなければならないと。30歳になった君「狂気を捨てて正気になりなさい」

あ、ちなみに最近30になったのは嘘です

https://news.yahoo.co.jp/articles/6fc1ab157e3790e42bd2cf3e279ded7e09b84252

そういえば「ひろゆきをアフリカに置いてきた」がAbema TVで流行っている。「ロジハラ野郎をアフリカでわからせ」するためにナミブ砂漠に置いていき、ヒッチハイクやら路線バスやらで帰って来い見たいな番組だ。これは完全に偶然なのだが、ナミビアは今私たちが向かっている目的地だ。

個人的にはこんなオーソドックスな旅コンテンツが世間で流行るのはなかなか意外だったが、同時に旅コンテンツの普遍性を体現しているといえる。旅は古来より人類の主要活動のの一つであり、食事や睡眠に匹敵する種と結び付いた行為と言えるため、コンテンツとして一定のプレゼンスを保っていることにはなんの驚きもない。

一方でコロナ禍の経験や円安進行により、海外旅行は以前ほど支持を集められなくなっている。元々日本のパスポート保有率は1/4程度であり、かなり少ない印象があると記憶しているが、先日X(旧Twitter)で話題になっていた「マッチングアプリで趣味は海外旅行と書く人は地雷」、「海外旅行は趣味じゃなくて贅沢」見たいな投稿で盛り上がっていた件に付いては触れておこうか、文字数稼ぎにもなるしね笑

まあ経緯に関しては適当なまとめサイトでも参照いただくとして、

究極個人の自由にすぎないのだが、この論調が主流になるのは良くない。まあ、多くの人が同じことを書いているから、「PR的に効果が薄いよね」というのはそれはそうだと思うが、なんというかこう海外に消極的な人が増えてしまうのはよろしくないし、旅が遊びや贅沢の類いとして「やるべきことをやった人」「責任を果たしている人」に与えられた権利だと言う風潮はいかがなものかと。また、海外に行くことに重要な目的を持たせすぎるのも本質的ではない。「留学し何を学ぶかが大事」とか「住まなきゃわからないこともある」とか

インドに行って人生変わった奴がいたっていいじゃないか

2週間の語学留学で「向こうでは、、、」って喋り始める奴を量産しようじゃないか

今までに何度も撮られた写真を撮って、現地の家族の人の歯医者代を出そう。ぼったくられてみよう。心配しすぎて拍子抜けしてみよう。油断しすぎて痛い目を見てみよう。しばらく風呂に入らないで自分の匂いを嗅いでみよう。誤訳で混乱してみよう。それら先に大切なものが見えてくる保証はないが、「イタイ奴」になる勇気がある方が、楽しいと思う、なんとなくだけど

それでは、ナミビアに行ってきます


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