こんにちは!ボリビアPV公開になりましたがご覧になりましたか?各所から過去最高だという称賛の声が聞こえてきますね!

それはさておき今回は、ウユニ塩湖・宝石の道で高山病に倒れたKSGの苦難とその難しい判断を、私=主治医の視点からお届けしたいと思います!
※あくまでも当時は医学に詳しい素人の診断・治療です。

高度4200mの砂漠地帯を自転車で走行中に高山病を発症したKSG、彼の症状の推移を時系列にまとめました!

まだご覧になっていない方はこちらから!
患者の視点からみた高山病体験記はこちらから!

Contents

KSGの病歴

24歳男性、主訴は全身倦怠感・呼吸困難。発症1日前未明に高地ラパスに到着し、発症当日朝より標高4200mでサイクリングを開始。昼ごろから倦怠感、眠気を自覚し、夕方にかけて悪化。横になって休んでも改善せず、軽度の頭痛も自覚したため下山となった。

To be continued…

順応の大切さ

順応、それは人体が高地・低酸素環境に適応することを指します。特に高地到着後2〜3日は急性高山病発症のリスクが高いため運動を避けることが推奨されています。

さて今回の患者であるKSGは、当初の予定では自転車走行開始日の2日半前に高地(ラパス)に到着する予定でしたが、乗り継ぎ失敗(他記事参照)によって順応期間が1日半に減少!この時から不幸な運命は始まっていたのでした!

貴重な順応日をドブにすてたKSG

サイクリング開始と異変

そして運命の一日、サイクリングを開始しました。未舗装砂漠地帯を自転車を押しながら標高を上げてゆきます。いつものように舗装道を走っているときよりも格段に身体負荷がかかる行程です。

KSGはというといつもと同じくらい私とKatohから遅れていましたが、「まあいつも通り遅れてんな」くらいにしか思っていませんでした。

もし、高山病を発症したのがKatohであったら早めに異変に気付けたのかもしれません。

さて最初の異変は昼飯時。いつもどおりカップラーメンを作るという任務を任されたコックKSGでしたが、異常にお湯が足りていないカップラーメンを作ってしまします!

本人は否定するかもしれませんが、この時から高山病による判断能力の低下が現れていたと今では思っています。

さらにカップラーメンを平らげた後、私とKatohは追加のパンを食べたにもかかわらず、KSGは「食欲ないし、眠い」といって昼寝を貪ります。過去の旅で昼飯どきに寝るなんてことは一度もなかっただけに私は明らかな異変に気づき、午後の行程のKSGの様子を注意深く見ていくのでした。

いつもどおりで私たちから遅れるKSG
食べかけではなく、これが完成状態!お湯ねえじゃん!!

症状は急速に悪化するし不可逆

午後になって走り始めて1時間弱、KSGのスピードが一段と低下し、本人も倦怠感を訴えます。15分の休憩を挟んで運動させて症状の経過をみる選択をしました。

そして15分後。再び歩き出したKSGでしたがゾンビのように10mほど進んだ様子を見て彼のリタイアを決めました。一応一緒に観察していたKatohの方に目をやると「あれは無理だな」といった顔でこちらをみています。

KSGにドクターストップを告げようとしたその刹那、彼はこちらを振り返り自転車を停めてトボトボ歩いて帰ってきたのでした。

「ここをキャンプ地とする」

そう、彼の短い戦いは終わりを告げました。

ここをキャンプ地とする!

改善しない容態

さあここからが診療開始です!呼吸困難を訴えSpO2は70前後、それに全身倦怠感が伴っています。私は安静にして酸素需要を減らせば状態がよくなるのではないかという見地からテントで1時間横になって様子をみる選択をしました。

1時間後

なんと倦怠感は増しているようで、傍目からみてもぐったりしており発話が少なくなっています。安静にしていても酸素化が改善しなかったことはレッドフラッグを示唆しており、テントで一晩過ごすことは急変のリスクが大きいと判断し我ながら速やかに下山の決断をしました。

この後紆余曲折を経ますが、深夜に近くのホテルから借りてきた酸素をナルコーシス(CO2貯留=死亡)に気をつけながら4L5分投与することに成功し、SpO2は一気に99%まで改善し、KSGの呼吸も楽になったようでした。

また、未明にはウユニ村(3600m)まで高度を下げることに成功し、ゆっくり歩ける程度にはKSGの状態も改善したのでした。

終わらない戦い

ウユニ村の病院へ行ったところバイタルと問診の結果、急性高山病の診断となり、アセトアミノフェンとアセタゾラミド内服の指示をもらってホテルに帰還し一件落着かのように思われました…

しかし翌朝…

顔色が悪いKSG、よくよく診察すると爪にチアノーゼがでています!

KSGも眠ると呼吸が苦しくなるため、起きて体を起こしていたとのこと(起坐呼吸)。症状の悪化に私は内心かなり焦りました。急性高山病は進行すると脳浮腫・肺水腫へと進展し死に至ります。

頭痛は軽いことから脳浮腫の可能性は低いのではないかと考えたものの、肺水腫まで進展しつつある可能性も考慮し始めました。身体所見はというと明らかな肺雑音はないものの、声音震盪音に左右差があるような気配を感じます。エビデンスがある血管拡張薬ニフェジピンを薬局で仕入れて投与する大胆な作戦に打って出ました!

同時に病院で胸部X線をとって肺の水を確認する必要があると考え、午後に病院へいくことになりました。

幸いX線で肺に水は確認されず、再び酸素を投与(低流量)することでKSGの状態は改善しました。しかし、そこから数日間のウユニ村の滞在中に完全に復調することはなく、低地のコロンビアのボゴタに到着してはじめて状態が良くなったのでした。

高山病の鉄則は「酸素投与で延命してすみやかに下山」

日本のようにいつでもどこでも助けてくれる119番のない医療後進国であなたの身を守るのは、あなた自身です。最低限の医学知識はもちろんのことながら、現地の医療資源を把握して適切に利用すること、わずかな判断の遅れが文字通り命取りです。

正しく恐れて、よい旅を!!!!

ウユニの医療体制等についてはこちら

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医学部生がボリビア・ウユニ塩湖で高山病になった話(患者編) | EAT PRAY CARP · 5月 2, 2021 at 12:51 am

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