消費するものは作り方を知っていなければならない。

人間は自由を求めながら、易きに流れ選択を拒む。しかし、思考停止した自己の像から目をそらすために、多くが批評家になる。問題を政府や他の国のせいにし、他の世代を攻める。男と女、老人と若者、保守派とリベラル、外国人と日本人、医者と患者、お互いが自分の価値観と視点から、ああするべきだこうするべきだと言って、自分の周りに同じ声が多いことに安心し、少数派になることを恐れる。そして最大の問題は自分は何もしないことだ。

全5回シリーズ各メンバーの目次
1、【EAT PRAY CARPと私①】 ツアコン編
2、【EAT PRAY CARPと私②】 Katoh編
3、【EAT PRAY CARPと私③】 KSG編
4、【EAT PRAY CARPと私④】 SASAKEN編
5、【EAT PRAY CARPと私⑤】 TAKAMASA編
6、【EAT PRAY CARPと私⑥】 おまけ編

世の中には情報が溢れている。そして情報は、意図を持ってあなたに貴重な時間を消費させるために、戦略的に寄ってくる。目を引くサムネイルや興味をそそるキャッチコピー、イケメンや美女、高級感や親しみやすさ、インターネット上の行動を分析した不気味なまでにドンピシャなタイミング、ググれば情報がすぐに手に入る時代だ。では、あなたは検索したとき、何番目のWebサイトまで訪問するだろうか、特定の検索ワードの最初の1ページに表示されるためにどれだけのSEO施策が必要か。その労力を買って出た発信者の情報にはあなたにリーチする意図がある。テレビ、新聞、本などのメディアも同様だ。テレビは馬鹿でも分かるようにという舐めたディレクターの意思で作られるからあんなにつまらないし、雑誌や新聞は容易に権力に利用されるし、本は締め切り間近に書かれたやっつけ仕事かもしれないし、教育システムは20年前の価値観を再生産しようするだけの茶番劇にすぎないのかもしれない。

自分が目にして、理解して、共感するような情報は得てして誰かがそうするように、4何かの思想や行動を促すように意図して戦略的に組み立てられている。その意図は無害なものかもしれないし、善意のものかもしれないし、邪悪なものかもしれない。昨今情報リテラシーの重要性が叫ばれて久しいが、一般に言われる情報リテラシー施策で発信者の意図まで探り、それが正当かを選別するのは極めて困難である。そんな混沌の中で、他人の意図に惑わされずに自分の意思をもちづづけるためには、自ら意図の作り手に回るしかない。活字、音声、映像、Webメディア、インスタレーション、ワークショップ、コミュニティ、ムーブメント等々あらゆるメディアやイデオロギーを正しく理解するためには、その作り方を知っていなければならない。

作り方を知るためには作ってみなければならない。世の中には、何かのマニュアルはたくさんある。最初はそれらを参考にせざるを得ないが、マニュアルだって誰かの意図の賜物だ。だから自分で、物質やバイナリや世界と向き合って試行錯誤しなければならない。それが、自分の意思を持つためのトラストアンカーなのだ。

世の中には極めて多様な専門分野があり、それら全てを理解するのは到底不可能で、人間一人が人生をかけて習得できる知識や技能には限りがあるから、大半の時間を自分が習得した知識や技能(またはその生産物)を他者へ提供し、代わりに他者の知識や技能を持ってして自分の課題を解決してもらう。一般に、物理学者は鉄の物性については詳しいが、トイプードルの毛の綺麗な刈り取り方はわからないし、トリマーはパワーショベルの操作方法はわからない。建機オペレーターは、入院患者の心と体のケアについてはわからないし、看護師は資産取得時の節税効果の高い会計処理方法についてあまり気にしない(もちろんこれらの例一つ一つには必ず反例が存在するだろう。看護師資格をもつ経営者も、ペットのトイプードルを自宅でトリミングする物理学者もいるだろう)。だから人は人生のうちで自分に関係ありそうなこととなさそうなことを仕分けして、一定のブラックボックスまたは知的負債を受け入れなければならない。便利なものを作るよりそれを使いこなせる方が価値がある。それが当たり前であり、それが社会に求められているからこそ、自分の意思とは何か見失いがちなのが我々だ。


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